働くネコ背の腹のうち
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1年

母の癌がわかって1年
ついこの間 母がふと「お母さん1年生きられたんだね」

そうだね1年生きられたんだね お母さん
本当に頑張ってきたよね
辛くて辛くて本当に辛くて それでも少しでも長く生きたいと
痛いことが大キライで怖がりなのに
いろんなことに耐えて我慢して頑張ってきたよね

抗がん剤の副作用が酷く病院に行ったら
そのまま即入院になった時
痛みと嘔吐と高熱で
あの時もしかしたらこのまま死んでしまうんじゃないかって
毎日病院に行くたびに緊張していた


癌患者とその家族は
諦めることが少しずつ上手くなっていく気がする
少しの希望を持ってはすぐに絶望に落とされる
それでも次の希望と期待を抱く
だけどそれも許されない

「・・・仕方ないよね 癌になっちゃったんだもん・・・」
延命しかないと言われてからの母の悲しい口癖

朝母の部屋に顔を出すと時々
泣いていることがある
「お母さんもうちょっと生きたいから頑張るんだけど
でもやっぱり気力がもたないの・・・意気地がないのよ・・・
だからあなたももしものことをちゃんと考えておいてね
誰もがみんなこうやって死んでいくんだから
お母さんが死んでもずっと悲しんじゃだめだからね
お母さんだってもっとあなたと一緒にいたいけど・・・」

怖くて辛くて悲しくてどうしようもなくなってしまうんだろうと思う
生きたいのに生きられない
抗がん剤しか出来ることはない
でも抗がん剤の副作用が辛くて仕方がない
やめたいと思ってもやめたらもうすぐそこにあるのは死

こんな状況の中
冷静でいられる人なんていない
心と体のバランスが崩れるのは当たり前だ
癌患者がうつ病になる率がとても高いというのは痛いくらいわかる

母が泣いている時
わたしが冷静になって少しでも落ち着くように
なだめて話を聞いて・・・
こんなふうに出来たらいいけど
わたしもどんなに我慢して頑張っても涙をこらえることができない
泣きながらお母さんが一番安心するであろう言葉を
繰り返すことしかできない

「わたしがいるから大丈夫だよ」
「わたしがずっと一緒にいるから」

母はわたしがいないととても不安がる
病院も家の中も外出した時も
お母さんのことは全部わたしに聞いてくれと
兄たちや叔母にも伝えている
わたしが仕事の日は
「明日はお仕事の日かー さみしいなぁ・・・」と口に出すようになった
仕事の合間に何度か連絡を入れると
いつも最後は
「気を付けて早く帰って来てね」と言う

痛み止めの量が増えた
痛み止めと言っても医療用麻薬だから
やっぱり量が増えればそれだけ副作用も増える
量を増やしたくない 本当なら使いたくはない
でもあの痛みを見たら量を増やしてでも楽にしてほしいと思ってしまう
痛みで冷や汗を流して じっとしていられない
レスキュー用の痛み止めを作って飲んでも
あまり効かない時は見ていられなくて涙がとまらなくなる

胃癌の腹膜播種 リンパ節転移あり
肺に転移
多発性肺転移
検査のたびにどんどん増えていく癌の転移
病院に行くのが憂鬱

一番目の抗がん剤SOX療法が副作用が強かったせいで
スムーズに進まず
抗がん剤の減量や休薬期間が続いたりで結局
効果がなかったと見なされ終了
二番目の抗がん剤治療が先週から始まった
今度の副作用は脱毛も加わる

「少しでも癌がおとなしくしてくれるなら毛が抜けたって
お母さん平気だからね」
尋常じゃないだるさ
何を食べても甘く感じる味覚障害
ご飯も本当に食べられなくなり
手足のしびれも出てきて
さらに脱毛もなのに
お母さんは頑張ろうとしている
時々気持ちが折れて死ぬこと 死んだ後のこと
こっちが考えもつかないような
後ろ向きなことまで言い出したりするのに
お母さんは耐えていこうとしている

わたしはどうやって支えればいいんだろう
どうすれば支えることができるんだろう
もっと強くなるにはどうしたらいいんだろう




お母さん生きようね
一緒に生きよう



※この場からですみません
年賀状 新年のご挨拶等はすみませんが失礼させていただきます
母との年末 お正月を精一杯
楽しく明るく過ごそうと思っています
それだけに全力を尽くそうと思います


みなさまの幸せと健康を心からお祈りいたします
by oyabun-s | 2015-12-08 00:38 | 家族